四十にして惑う

フリーランスITエンジニアのサバイバル日記

4年ぶりの更新

こちらのブログは4年ぶりの更新だ。
すっかり存在を忘れていたのだけど、思い出したように更新してみる。

現状はというと、当時、実現できるか半信半疑だったアプリ収入で食っていくという目標はクリアできてしまった。
もう何年も常駐開発の奴隷仕事はやってない。ただアプリ収入だけに頼るのはリスク高いので、持ち帰りの開発案件もたまに請けたりしてるが、基本、アプリ収入だけで生活は成り立ち、受託開発の仕事をもらうと、それがまんま貯金になる。金銭的にはかなり余裕ある状態となった。

だが、それですごく充実した毎日かというとちょっと違う。楽ではあるか何か足りない。
やはり陳腐な言葉ではあるが、夢とかそういったものが必要じゃないんだろうかと思い始めている。
あと一人でお仕事ってのも気は楽であるが、物足りない。ちょいと寂しい。
人生難しいものだ。

あれから一年、熟睡の毎日

あれから1年が過ぎ。。。

ほとんど存在を忘れてたこのブログを今になって読み返して、この頃はほんと病んでたと思う。

 

 で、今はどうかというと、毎日、熟睡できてますw

 

不安が無くなったわけでもないんだけど、不安は有って当然だと思うようになったし、不安とうまく折り合いをつけるスキルを身に着けれたみたいだ。

客先に常駐する派遣社員的なスタイルの仕事をこの1年やってきて、金銭的にかなり余裕が出来た。
そういう意味では貯金の額と、安眠はある程度のレベルまでは比例するのかもしれない。
前の「寝床は寝るとこ」の記事を書いた頃は貯金が数万レベルまで落ち込んでたから、そりゃ不安にもなるわなw

 ということでお金の不安は解消されたのだが、今度は派遣社員的な仕事を続けていく不安が持ち上がってきた。

技術者としても人間としてもどんどんダメ人間になっていく感が半端ないのだ。

結局、時間いくらの世界なので良いモノを作ろうとなんて思いを持つ人はほんと少数派。
完全に無駄!と思える作業でも深夜まで無駄にマジメにやることが正義な世界。
日を追うごとに個性が剥ぎ取られ、考えなくなり、自分を失っていく感じ。
ただ、「安定収入」という魅力は捨てがたく、ズルズルと続けてきた。

 

 しかし、それではイカンということで、今年からは派遣的な仕事を辞め(仕事が無ければやるくらいのスタンスで)、前勤めてた会社のコネで営業して仕事を請けてやっている。

まぁこれはこれで不条理な事も多々あるが、不完全な人間の作った世界はどこまでも不完全なんだと割り切っている。

で、本来やりたかった製品開発も実は細々と続けてきて、ようやく多少ながら売り上げが上がるようになってきた。
そんなこんなで今は、順調といえば順調だが、この先またリーマンショック級の波が来たら、このブログを更新するようになるんだろうな(笑)

寝床は寝るとこ

融資を受けるのはあきらめた。

リスクが大きすぎる。

 

で、次に思いついたのは親から資金を借りること。

しかし、そんな裕福な家ではないし、すでに定年してる親から借りるとなると老後の資金を取り崩してってことになる。

儲かる見込みが大きければここで勝負にでてもよいが、そんな確信はないし。。。

親は貸してくれるとは言っているが、自分自身が二の足を踏んでいた。

 

とりあえず、ソフト開発のお仕事を請けて資金を貯めることにした。

平行して空いた時間にでも自分の製品開発も進めていけばリスクも少ないだろう。

 

ということでお仕事を探すが、これがなっかなかスグには見つからない。

当時はまだリーマンショックの余波が残っていたのと、時期的に案件が少ないタイミングだったこともあって、仕事はなかなか確保できなかった。

 

おかげで自分の製品開発は進めれるのだが、預金通帳の残高は節約モードにもかかわらずガンガン減っていった。

これ、今までずっとサラリーマン生活やってきて、定期的な収入に慣れていた人間には非常に堪える。

精神的に追い込まれる感が半端ないのだ。

 

この先どうしようかと悶々と悩み、眠れない夜が続いた。

もともと寝る前に色々考え事をする習慣があったのが災いして、ネガティブな事ばかり考えてしまって寝れやしない。

睡眠不足が疲労を生み、それがさらにネガティブ思考を生む悪循環。

こんなとき、誰の言葉か忘れたが、ネットで見た言葉に救われた

 

  「寝床は寝るとこ」

 

当たり前なんだけど、目から鱗だった。

それから余計な考え事はぜず「寝床は寝るとこ。寝床は寝るとこ。。」と呪文のように唱えながら寝ることにした。

いつもサクっと寝れるわけではなかったが、それなりの効果はあった。

 

あまちゃんだったのです

退職してからのことを書こうとを思う。

もともと(というか今も)ソフトウェア製品を開発してそれで喰っていきたいと考えてた。
自分のやりたい事と適性を考えるとそれがベストだと思った。

しかし製品を開発するにもお金がいる。
製品が売れたとしても収入を得るまでにはかなりの時間がかかる。
開発自体に必要なお金はほとんど無いが、妻子ある身なので家族を養う生活費は必要なのだ。
妻もアルバイト程度の収入しかないので、自分がなんとかするしかない。

そこで、当初は融資を受けて開発資金にあてようと目論んでいた。
創業支援融資といって、金利も低く創業から数年は返済が猶予されるという有難い制度がある。 その創業支援の窓口に行って、そこで自分の事業計画のようなものを話して相談にのってもらったのだが。。。

   盛大にダメだしされてしまった。

知人にも今の計画について話してみるが、これもダメだしされるばかり。
もう誰ひとり、これイケそうって言ってくれる人はいない。

ここになって初めて自分の認識の甘さについて正確に理解したのです。
かなりへこんだ。
もう会社辞めてるしw

兎にも角にも融資を受けるのだけはやめようと思った。
しかし、じゃどうやって喰っていこうか?

四十にして惑う

孔子様は言いました

 「四十にして惑わず」

20代にこの言葉を知った時、40才になる頃にはその境地に達すのかなとノホホーンと考えていた。

30代前半、結婚し子供もでき、仕事は順調。
やるべきことは見えていて、それに向かって邁進する日々。
毎日が楽しいし、充実していた。
これは予想外に早く”不惑”の境地に達したのか! とまで思ってた。

そして30代後半。
リーマンショックあたりから自分を取り巻く状況がジワジワと変化していく。

あれれれ、何かが違う。
不惑の境地に達したと思っていたのは単にあんまり「考えてなかった」だけで、 今まで見えてなかった実に色々なモノが見えてきて、惑いまくりの日々が始まるのです。

ついに40代、惑ってばかりの自分。
思ってた以上に大人になれてない自分がいる。

このブログでは迷走しつつも理想の着地点を求めてもがく日常を書き綴っていこうと思います。